結成前夜

L青木とLバレネンゴア
関西のライオンズクラブ結成にむけて

 日本にライオンズの活動を広めるために、ライオンズ国際本部の特別代表としてLジョージ・バレネンゴア(マニラLC)が来日し、フィリピン友の会を基盤に日本におけるクラブ作りを開始、東京・横浜両クラブが誕生した。
ぜひ関西にも、と決意を固めLバレネンゴアが最初に訪ねたのが当時(株)電通外国部長のL青木真であった。関西に面識が全くないLバレネンゴアが、まずL青木真を訪ねたのは的を得た作戦?であったといえよう。
L青木はLバレネンゴアを伴なって関西の財界人を回り、その中に岡部証券印刷(株)社長岡部五峰氏がおられ、神戸LC初代会長、地区ガバナー、国際理事を歴任されたL岡部五峰その人である。
 一方大阪LCは、スポンサークラブは神戸LCだが、ほとんどL青木真が単独で作ったといってよい。大阪LC初代会長L進藤竹次郎も、L青木がLバレネンゴアと一緒に財界人回リをした1人であり、当時東洋紡(株)の副社長(後に会長)であった。
ところで結成経緯を見るにつき1つの疑問が生じる。神戸LCと大阪LCは、ほぼ同時進行で結成に向け準備されていたにもかかわらず、結成日が何故2ケ月神戸LCが早いのかと。この解答はL青木が次のように語っている「この点については誠に他愛のないばかげた理由から大都大阪を後回しにして神戸を先にしてしまった。つまり、クラブ発会後はチャーターナイト及び役員会、委員会等で夜遅くなることが多かろう。それには住宅のある神戸のほうが諸事便利であろうくらいの単純な理由からであった。大都大阪を後にしたことはいまでも後悔して深くお詫びする次第である。」

      

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